2005年03月29日

日本から障害者はいらないって?

障害者自立支援法に向かって、
影響が出始めてきたのかもしれない。

支援費制度について聞きまわった一昨年、
移動介護許可について走って怒鳴った去年、
そして今年、障害者自立支援法の余波がやってくる。

いい加減にしてくれ。

そもそも、【 障 害 者 自 立 支 援 法 】って、
【 障 害 者 自 立 試 練 法 】の間違えじゃないか?と思う。
福祉と言う名で閉ざされた世界。
福祉と言う言葉であいまいな世界。
それに振り回される、こっちの身になってくれ。

ところで、コレを考えるなら、
自立ってそもそもなんやねんってこと。

自分でできないことは、努力しろ。
そして自分でやりましょう。
他人に手を借りないでいきましょう。
一人で生きて生きましょう。

こんなことなんでしょうか?

そんなの限界があるに決まってるじゃん!

こういういい方もおかしいとは思うんだけど、
極端に言えば、健常者でないから障害者なんじゃん。
なのに、その存在の否定になっていませんか?

障害者という言葉に甘んじている当人たち、
家族、関係者は、山ほどいる。
吐いて捨てるほどいる。
だけど、だから、自立しろと尻を叩くと言うの?

疑問がいっぱい。
誰か答えて

でもね。
調べてみればおもしろいことが、ワンサカある。
そもそも、支援費になって混乱が起きて、
支援費になって利用者が増加して、
予想しきれない財政圧迫があったってことでしょ。

人を出したくない=お金を出したくない。

だったら、本人たちに負担させればいい、という考え方。
お金を使いたくなければ、制限しろってこと。
介助が必要な人は、生活費=介護費になる。

あゆはね。
当人たちが介護に関する負担額を払うのは、
そんなに反対するわけではない。
自分たちの選択のモト、介助者を選べるわけだし。
ただし、負担額のモトとなる同等の保障がなくちゃ、
こんなのおかしい。
自分に収入がないのに、どうやって介護してもらうんだってこと。

お金がない→介護が受けられない→生活ができない

こんなこと、予想できるでしょ。
もっと、もっと、よく考えて。
それでも、この制度で誰かが命を落として、
初めて気づかれるんだと思う。

家に他人介護の手が入る→お金がかかる→払えない
→だったら施設へ

こんな図だって描けるはず。

支援費の当初の目的は?
人が、人として、きちんと社会参加できると言うのは?
脱・施設だったはずが、逆風となってしまうじゃん。

馬鹿げた制度だ。

自立支援といいながら、介護を受けるための収入がなく、
親などに負担額を出してもらっていたら、
それこそおかしな自立だ。

市町村から受けている手当てが、
3000円だとする。
コレに対して介護負担額がMAX3000円なら、
まだ納得がいく。
体が動けたらイラナイ介助が必要で、
『助けるお金』として支給されてる手当てをソコへあてるのだから。

でも、越えたらどうするの?

財産や総資産から算出して、アル人からとればいい。
あゆみたいに働けている障害者からは、
負担額をとればいい。
介護保険料も払っていなければ、多くのことが免除されてる。
だから税金を払ったりすることで成り立っている、
『支えあい』ループに自分も参加し、使っているのだから。

自らがお金を払うんだ。
そこで使用範囲を作る制度はおかしい。
んなもん、なくなってくれれば、
お金を出すことに付加価値がつく。

働けない…収入のない環境はどおするの?

働く方法を見出すこと。
たとえば、通勤に介助が必要なら、
通勤介助を認めて。
そうしたらあゆだって、朝から仕事に行って、
夜まで仕事して帰ってこれる。
家族介護のために退職や収入が激減した家族に、
きちんと環境を与えて。
そうしたら、財政圧迫じゃなくなるでしょ。

障害者の社会参加は、
家族の中での個の確立からだと、
あゆは思う。

家族の生活の尊重があって、
初めて自分が尊重される。
自分が尊重されて、初めて外社会へ出れるんだ。

もちろん多くの手が必要で、
多くの理解が必要だ。
だけど、それは自らが作っていく世界で、
それは人よりちょっとハードルが多いだけで、
楽しんでクリアしていけばいい。

家族の中で自分の確立って、結構難しい。

あゆは、家族介護で一番負担となっていた、
入浴介助を入れるだけで、ずっと対等に過ごせるようになった。
お姉ちゃんとして、自分の時間を作って、
ちゃんと生活できるようになった。

そんな些細なことが大事なんだって、
案外、知らないんだよね。
みんなが当たり前に過ごしてると気づかないことが、
あゆって言う、ある種【異物】があることで、
当たり前の普通な生活ではなくなるのだから。
だからこそ、家族の生活の確立に、もっと着眼してほしい。
障害者当人の個の確立に気づいてほしい。

他人介護というプロの必要性。
ヘルパーというプロの当人のためのサポートの重要性。

ぶち当たってからじゃ、ホントは遅い。
人が人として生活できると言うのは、
障害者だけではなく、その家族にも強く伝わってほしい言葉。
障害者当人のために家族が犠牲になるなんて、
そんなのおかしい。

そんななら、あゆは家族はいらない。

障害者の自立ってなんだろう。
社会参加ってなんだろう。
障害者が対等に扱われる社会って、なんなんだろう。

※支援費制度の際に使われた説明文書は、
 とうてい説明が足りているとは思えない。
 制度が変わること、内容、きちんと説明されてないものが、
 あまりにも多すぎる。
 ナメてんのか!ってね。
 国はお金をとっても、
 それに関する説明義務はないのでしょうか?
 それこそ障害者差別、してませんか?
posted by あゆ姫 at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | あゆちっく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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