もう5年はまともに行っていない、あゆ母校。
こんな機会がなかったら、たぶん、想いを残したままだっただろうなぁ。
というのも。
この機会がやってきたのは、漫画・ナチュラルの取材のために、
母校に行く際、あゆも同行してしまったの。一番必要な場所は放送室。
あゆが唯一学生時代に『やり残した』と言うものが、残ってる場所。
だってね。
約4年続けたあゆのお昼の放送『旋風寺海のGENKIにきらきら☆ぱらだいす』の
最終回だけはやっていないんだもん。
忘れられないあの日は、この集大成版で1ヶ月かけて準備してた。
なのに…雪だよ、雪!!
しかも結構な量。
そのために最終回は、幻として終わったんだ。

それから数年。
久しぶりに降り立つ母校。
そして、懐かしい放送室のにおい。
とにかくウキウキした。
この放送室、半端なく暑くて、いつも汗を流しながら、
涼しい教室を思い浮かべて、さわやかにお届けしてた。
なんとなく覚えてたのかな。
今日の洋服を選ぶとき、無意識に“より涼しい服”を選んでた。
夏は、朝学校に着くなり、放送室の窓を開けてたなぁ。
午前の授業が終わったときは、廊下を走ってたなぁ。
CDやカセット詰め込んだリュックを背負って。
「きゃーっ☆ 調整卓(ミキサー)変わってないよぉ(笑)」
もう何十年使ってるだろう、このミキサー。
目の前にすると、スイッチもすべて覚えてる。
「あゆちゃん、どんな風にしゃべってたの?」
どんなだっけかなぁ。
確か、11時55分になった瞬間に、イントロを流して…
「Hi Everybody!! How are you?
今日も元気にノリノリで始めるよん♪
金曜日、お昼の放送。
今日のオープニングナンバーは…」
そう、こういいながらストップウォッチを見て、残り時間を確認してた。
タイムテーブルを見ながら、残りの時間をカウントして。
オープニングの曲が終わると、だいたい12時。
あゆの10分から15分のオープニングトークが始まった。
ココでは、いろんな学校行事の話や、お知らせ、
『あゆと歩こう』のミニ版状態で、一度企画を立てたこともあった。
バースデーメニューと言うのが、お楽しみメニューで、月に一度あった。
全校生徒のバースデーの月に、
小学1年生から高校3年生までずーっと発表するんだ。
今まではランダムだったのだけれど、
生徒の障害の重度化と、あゆのバースデーメニューの紹介が評判がよくて、
ずいぶんやらせてもらったっけ。
特に評判がよかった理由は、
ひとりひとりに名前の発表だけじゃなく「おめでとう」って言ってたこと。
各クラス、みんな盛り上がる瞬間だったなぁ。
声が聞きたくて、廊下の扉を開けっ放しで、その時はしゃべってしてたよ。
なつかしいーっ。
もう一度ああやってマイクの前でしゃべりたいなぁ♪

もう、学年担当だった先生は、この4月でみんな異動してしまっていて、
あゆが高校3年生のときに赴任してきた、
後輩の担当の先生サトシ先生が出迎えてくれた。
たまに今でもメールのやり取りをしてたけど、久々に会う。
修学旅行のとき「あゆみさん!一緒に歌って!!」と、
めちゃラブコールを送られた人です。
このころはファンが多くて、面白い日々だったよなぁ。
放送室の取材が終わると、校内を歩いて、いろんな教室を紹介する。
出戻った先生に会ったり、懐かしい話を交えながら。
そして思うのは、ココではやっぱり昔の名前で呼ばれるのよね。
でも普通に返事ができてしまう…(^^;
すると、廊下に、どっかで見たことのあるカラー写真がっ!
「あっ、あゆがいる!?」
゛平成9年度卒業生・DJのあゆみさん"
そこには、あゆの出た福よこが貼ってあった!!
うわぁ…懐かしい響きだよぅ。
嬉しいからサインでもしていこうかしら。
でも、あゆだって分かったんだねぇ。
名前も姿もずいぶん変わっちゃったのに。
誰もいない校舎だったけど、久々に体中に感じるこの場所は、
いいことも悪いこともあったけど、あゆの原点なんだなぁって感じた。
初心、忘れるべからず☆

にしても、演劇部をあまり強く思い出さなかったのは、
やっぱり燃え尽きたってことなのか?